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2009年 11月 27日
邂逅
激動の建築の時代、明治-大正-昭和を最前線で生きた人がいる。

大学面接の時のこと。
面接官からの「尊敬する日本の建築家はいますか?」との問いに、
「・・・前川國男です」と答えた。

当時なぜそう答えたかというと、
偶々コルビュジエの「建築をめざして」を読んでおり、
日本人で彼の弟子である前川國男を良く知りもしないのに挙げたのだ。
※20世紀において最も有名な建築家。モダニズム建築の提唱者であり画家でもあった。

その後、建築よりもダンスが大事になり、前川の名前は頭の中から消えていった。
不思議なものだ。
学校に通っている時は、建築史の授業など練習前の貴重な睡眠時間でしかなかった。
卒業し、勉強などしなくてもよくなったのに、写真に絡む廻りあわせから彼の手記を手に入れた。

1940年代いよいよ日本の旗色が悪くなり、
物資が無くなる中で、軍事関係で間に合わせ仕事ばかりの建築界を憂う。
今までの価値観が180度転換した終戦。
事務所も焼け落ち、首都にバラック小屋が並ぶのを見て、
高度に工業化された復興住宅の供給を0から模索する。
※今のプレハブ住宅の元

今までの国内のコンペ(設計競技)の審査方式に不公平性・閉鎖性を訴える。
帝冠様式(鉄筋コンクリート造の官舎に瓦葺の屋根を架けた様式)を愚行と批判した。
建築界を取り巻く旧体質に怒り、建築家のあるべき姿を提唱した。

戦前・戦中・戦後と最前線で、終生問題意識を持ち、社会・人を考えた。
この時代の人に共通する、ほとばしる熱さを感じた。突き動かす激情。
同じように「ホンモノを見極めろ」と岡本太郎も述べていた。

前川の、その人物に感激したのだ。

偶然にもその名前を口にしてから10余年。
写真からスタートして再び前川を知りたくなって、著作を読み、そして八重山に繋がった。
前川が亡くなる直前に設計した、石垣市民会館(1985年)。

俯瞰はこちら

コルビュジエが提唱し、前川が推し進めたモダニズム建築。
それは過去の様式を排除した合理的な建築。
ピロティ、テラス、、、正に近代建築の原則。
※モダニズム自体が「様式」じゃないかという批判もあるが、枝葉末節である。
コンクリートに施された控えめな意匠、
穴明きコンクリートブロックがさりげなく沖縄を感じさせる。

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Wide Angle Rolleiflex
ピロティに渡る廊下、庇を臨む

恐らくこの建物を見て、斬新だ!と思う人はいない。(あくまで意匠として)
なぜなら、前川國男自身がモダニズム建築を日本に根付かせ、住宅にまで一般化させたからだ。
「普通」と感じることは、ある一面では、彼がその昔望んだ水準に達したということなのだろう。

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Wide Angle Rolleiflex
ピロティ、大ホール正面を臨む

石垣島の年中行事「とぅばらーま大会」は、市民会館の前で旧暦8月13日開催される。

晩年の前川は聴いただろうか、その三線の音を。

・・・胸中極まった心情を。

by jazz_houser | 2009-11-27 12:21 | 石垣島


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