旅は異界へと向かうことだろう。
異界とは単純に見知らぬ土地ということだけではなく、
自分の生活圏以外の場所も含まれる。
そこに住み始めて日常となるなら、異界ではなくなるのかもしれない。
琉球の昔、外洋が異界であり、
異界とは信仰上、後生(彼の世)である。
簡単には手が届かない、人知の及ばない領域。
人の魂(マブイ)は海の遥か彼方にあるとされるニライカナイ、後生へ行くとされた。
でもなぜそこから此の世に帰ってくるとされたのだろうか。
昔話で村の外れの井戸が後生の入り口、とどこかで読んだ。
電気煌々とついた真の闇のない都会では、後生なんて発想は生まれない。
十六日祭では、彼の世の正月を墓で祝う。
彼の世はすぐ手の届きそうなところにあったりするのだ。
此の世と彼の世は反対のようで、なぜか近しい。
意外と既視感があったりすることを思うと、
私のマブイはどこかで見ていたのかもしれない。
Rolleiflex 3.5F Xenotar
私は此岸と彼岸を行ったり来たりする
肉体は生きたままで