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2008年 11月 29日
対岸
西表島の南岸、南風見田(ハエミダ)の浜。
キャンプ場があるが、車かバイクを借りないと不便なため、訪れる人も少ない。
対岸に波照間島を望む。
目を凝らすと、製糖工場かセメント工場の塔が見える。

対岸_f0182432_21393855.jpg

※逆にニシ浜から西表島が見える。
11/17の日記写真の右上


私はいつもニシ浜からここを眺めていた。

波照間小学校の前の壁には「星になった子供たち」という詩が書かれている。
戦時中、日本軍のある兵士の命令によって、
全島民がここ、南風見に強制移住させられた。
マラリアによって一人、また一人と倒れていく中、
対岸の故郷を見ながら、自身に迫る死を感じたのだろう。
結果島民の1/3が犠牲となったそうだ。

八重山に通い始めた頃、あまり民族的なことや歴史について知ろうとは思わなかった。
表層のみをつらつらーっとでいい、もしかしたらどこかでそう思っていたかもしれない。
何でもいいから八重山を知りたい、もっと根っこの部分も知りたい、そう思い始めたのは、
表層だけを攫って撮ること・結果に行き詰ったのと時を同じくする。

ヤマトの人間が沖縄戦や基地問題について語る時は専ら、
ぬくぬくした環境で自称評論家がお互いの肌を撫で合うような感覚、
語ることで自らに酔う感覚・・・そんな文章を読んだことがある。
的確かつ痛いと思った。

私はこの場所に立って、同じように波照間を見て、ただ想像する。
生まれるはるか前、63年前のことを。

対岸_f0182432_2236424.jpg


波照間国民学校の識名先生が書いた言葉、
「忘勿石 ハテルマ シキナ」と共に犠牲となった人の名前は
今日も波照間を見つめている。

by jazz_houser | 2008-11-29 22:53 | 西表島


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